2008年05月23日
「ハンティング・パーティ」を観て
県下ではここだけでの上映と言うことで、movixのメンズディを利用して「ハンティング・パーティ 」を観てきた。
実在のジャーナリストが体験した実話を基に、命知らずな報道マンたちのきずなを描く社会派映画で、監督はエミー賞監督賞に輝いたリチャード・シェパード。再起を求める戦場リポーターをリチャード・ギア、彼とともに戦火をくぐった元戦場カメラマンを『クラッシュ』のテレンス・ハワードが演じ、実話ならではのリアリティーは、この映画を魅力あるものにしている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争においてスレブレニツァで1995年7月約8000人のムスリム人がセルビア人勢力に民族浄化の名の下に無差別に殺害された。
紛争から5年、未だ危険地帯のある2000年のサラエボ。かつては花形戦場リポーターだったサイモン(リチャード・ギア)、彼とともに戦火をくぐったカメラマンのダック(テレンス・ハワード)、そして新米テレビプロデューサーのベン(ジェシー・アイゼンバーグ)は、国連にもCIAにも捕らえられない戦争犯罪人“フォックス”を追うことになる。サイモンはスレブレニツァで最愛の恋人とお腹の中の子供をセルビア人に虐殺されていた。かつてその現場を仕事で目撃した彼の人生は、それを期に大きく狂い始める。
この映画を観て忘れかけていた旧ユーゴスラビアの崩壊とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の記憶が蘇ってきた。ソビエト連邦やベルリンの壁の崩壊後、東ヨーロッパは民族紛争と独立の動きが活発化した。その中でチトー死亡後に起こった旧ユーゴスラビアの崩壊は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へと発展していく。当時、全世界に報道されたサラエボでの銃撃戦などの映像は衝撃的なものであった。冬季オリンピックの行われた街で繰り広げられた市街戦。
民族とは何かという問いを全世界に投げかけたと同時に、裏に見え隠れするアメリカの思惑。ヨーロッパ大陸の中で中世から繰り広げられてきた侵略と抑圧の歴史とEU諸国の思惑。崇高な理念は形骸化し、大国の手先にしか過ぎなくなってしまっている国連軍。
数々の問題を抱えながら結局、いつの時代に置いても戦いの犠牲になるのは、一般市民であり、戦争は憎しみの連鎖しか生み出さない。
そして、その本質は常にその現場に身を置いる者でないと、裏に隠された真実は見えてこない。決してお茶の間のテレビで報道されるニュース番組の中に真実が見えている訳ではない。この映画は、そんなジャーナリズムのあり方を問題提起しているかに思えた。テレビカメラのフレームの中に収まらない真実、私達はその外側に隠れる真実を正しく読みとらなければいけないが、それはそんな簡単に可視的に存在するはずはない。私達自身が想像力を駆使して、その一部を読みとるしかすべはないのである。
今日もアメリカの正義の名の下に同じ様な民族対立は、イスラエルやイラクなど各地で繰り返されている
実在のジャーナリストが体験した実話を基に、命知らずな報道マンたちのきずなを描く社会派映画で、監督はエミー賞監督賞に輝いたリチャード・シェパード。再起を求める戦場リポーターをリチャード・ギア、彼とともに戦火をくぐった元戦場カメラマンを『クラッシュ』のテレンス・ハワードが演じ、実話ならではのリアリティーは、この映画を魅力あるものにしている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争においてスレブレニツァで1995年7月約8000人のムスリム人がセルビア人勢力に民族浄化の名の下に無差別に殺害された。
紛争から5年、未だ危険地帯のある2000年のサラエボ。かつては花形戦場リポーターだったサイモン(リチャード・ギア)、彼とともに戦火をくぐったカメラマンのダック(テレンス・ハワード)、そして新米テレビプロデューサーのベン(ジェシー・アイゼンバーグ)は、国連にもCIAにも捕らえられない戦争犯罪人“フォックス”を追うことになる。サイモンはスレブレニツァで最愛の恋人とお腹の中の子供をセルビア人に虐殺されていた。かつてその現場を仕事で目撃した彼の人生は、それを期に大きく狂い始める。
この映画を観て忘れかけていた旧ユーゴスラビアの崩壊とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の記憶が蘇ってきた。ソビエト連邦やベルリンの壁の崩壊後、東ヨーロッパは民族紛争と独立の動きが活発化した。その中でチトー死亡後に起こった旧ユーゴスラビアの崩壊は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へと発展していく。当時、全世界に報道されたサラエボでの銃撃戦などの映像は衝撃的なものであった。冬季オリンピックの行われた街で繰り広げられた市街戦。
民族とは何かという問いを全世界に投げかけたと同時に、裏に見え隠れするアメリカの思惑。ヨーロッパ大陸の中で中世から繰り広げられてきた侵略と抑圧の歴史とEU諸国の思惑。崇高な理念は形骸化し、大国の手先にしか過ぎなくなってしまっている国連軍。
数々の問題を抱えながら結局、いつの時代に置いても戦いの犠牲になるのは、一般市民であり、戦争は憎しみの連鎖しか生み出さない。
そして、その本質は常にその現場に身を置いる者でないと、裏に隠された真実は見えてこない。決してお茶の間のテレビで報道されるニュース番組の中に真実が見えている訳ではない。この映画は、そんなジャーナリズムのあり方を問題提起しているかに思えた。テレビカメラのフレームの中に収まらない真実、私達はその外側に隠れる真実を正しく読みとらなければいけないが、それはそんな簡単に可視的に存在するはずはない。私達自身が想像力を駆使して、その一部を読みとるしかすべはないのである。
今日もアメリカの正義の名の下に同じ様な民族対立は、イスラエルやイラクなど各地で繰り返されている
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