2006年09月17日
石田徹也の死が意味するもの
「僕が世の中を見回すとき頼りにする感覚は、人や社会の痛み、苦しみ、不安感、孤独などで、そういったものを自画像の中で消化し、独自の絵画を見せたい」 石田徹也
石田徹也は去年の5月に踏切事故で死亡したと何処を検索しても書いてある。死んだ人の事をとやかく言うのは死人を冒涜する事になるかも知れないが、彼の死は自殺ではなかったのだろうか・・・。
新日曜美術館で、彼の旧友も言っていたように自分の作品のオリジナリティに対し誰かの影響ではないかという事を自問自答していたみたいである。彼は180あまりの過去の自分の作品が持つコンセプトと表現手法に悩んでいたのではないだろうか?彼の作品を今日はじめてみた時に思ったのは、「これっていつの誰の作品?美術的に見てそんなに凄い?でも何故か引きつけられてしまう・・・。」とにかく他の作品も見ていくうちに最近にないショックを受けた。やはり彼はアンリ・ウォフォールの作品ようにグラフィックとアートの狭間にいて後生で評価されるのかも知れない。僕が彼の作品を見ていて連想したのは、つげ義治の「ねじ式」・寺山修司・横尾忠則・唐十郎である。
誰もが誰かの影響を受けながら自分の世界を持っている。誰の影響も受けない個人など存在しないはずである。
彼の検索をしているうちに「もにかさん」のブログに行き当たった。(http://d.hatena.ne.jp/mxoxnxixcxa/20060609/asyoulike)そこに書いてあった下記の記事を僕は石田徹也の言葉と読み違えて読んでしまったのは何故なのであろう・・・・・。30代になって新たな境地に脱皮したいが出来ないでいた彼が人生の踏切の前に立っていたように思えて仕方がない。
『[日々]もうだめだ
どんなデザインもどこかで見たような気がする。私は凡庸な人間だ新しいものなんて何一つ生み出せない。先月が忙しすぎて、なり損ねた5月病に捕まった。新しい生活で、常にニコニコしていなきゃいけない。ひとが心配するので、電話口でも「毎日すごく楽しいよ」とか言いながら、ひどくきつい。私は誰に向かって弱音を吐いたらいいのだ。自分に向いていないジャンルを選んだのだ。でもここで現在の立ち居地を否定しきったら、いったい私の20代は何だったのだということになってしまう。既存のものに囚われすぎて発想の転換ができない。斬新なものにしたいのに、私の描くものはどれも百凡だ。かけねーと思っても期日は着々と迫ってくる。私は自分を買いかぶっているのだろうか。私なんて所詮こんなものなのだと思えばいいのに、納得できるようなものが出てこない。誰かにそうじゃないよって言って欲しい。大丈夫だからって言って欲しい。なんでもない顔をするのに疲れた。それでも今日も笑って過ごすんだけれど、ひどく苦しい。これが5月病ですか。完全に行き詰った。根拠のない自信を持っている人になりたい。きついしんどい。』(もにかさんのブログより)
石田徹也は去年の5月に踏切事故で死亡したと何処を検索しても書いてある。死んだ人の事をとやかく言うのは死人を冒涜する事になるかも知れないが、彼の死は自殺ではなかったのだろうか・・・。
新日曜美術館で、彼の旧友も言っていたように自分の作品のオリジナリティに対し誰かの影響ではないかという事を自問自答していたみたいである。彼は180あまりの過去の自分の作品が持つコンセプトと表現手法に悩んでいたのではないだろうか?彼の作品を今日はじめてみた時に思ったのは、「これっていつの誰の作品?美術的に見てそんなに凄い?でも何故か引きつけられてしまう・・・。」とにかく他の作品も見ていくうちに最近にないショックを受けた。やはり彼はアンリ・ウォフォールの作品ようにグラフィックとアートの狭間にいて後生で評価されるのかも知れない。僕が彼の作品を見ていて連想したのは、つげ義治の「ねじ式」・寺山修司・横尾忠則・唐十郎である。
誰もが誰かの影響を受けながら自分の世界を持っている。誰の影響も受けない個人など存在しないはずである。
彼の検索をしているうちに「もにかさん」のブログに行き当たった。(http://d.hatena.ne.jp/mxoxnxixcxa/20060609/asyoulike)そこに書いてあった下記の記事を僕は石田徹也の言葉と読み違えて読んでしまったのは何故なのであろう・・・・・。30代になって新たな境地に脱皮したいが出来ないでいた彼が人生の踏切の前に立っていたように思えて仕方がない。
『[日々]もうだめだ
どんなデザインもどこかで見たような気がする。私は凡庸な人間だ新しいものなんて何一つ生み出せない。先月が忙しすぎて、なり損ねた5月病に捕まった。新しい生活で、常にニコニコしていなきゃいけない。ひとが心配するので、電話口でも「毎日すごく楽しいよ」とか言いながら、ひどくきつい。私は誰に向かって弱音を吐いたらいいのだ。自分に向いていないジャンルを選んだのだ。でもここで現在の立ち居地を否定しきったら、いったい私の20代は何だったのだということになってしまう。既存のものに囚われすぎて発想の転換ができない。斬新なものにしたいのに、私の描くものはどれも百凡だ。かけねーと思っても期日は着々と迫ってくる。私は自分を買いかぶっているのだろうか。私なんて所詮こんなものなのだと思えばいいのに、納得できるようなものが出てこない。誰かにそうじゃないよって言って欲しい。大丈夫だからって言って欲しい。なんでもない顔をするのに疲れた。それでも今日も笑って過ごすんだけれど、ひどく苦しい。これが5月病ですか。完全に行き詰った。根拠のない自信を持っている人になりたい。きついしんどい。』(もにかさんのブログより)
2006年09月17日
石田徹也という画家を知っていますか
何となく日曜美術館にチャンネルを合わせた時、そこに流れていた絵に引きつけられてしまい特集の最後まで見入ってしまった。そこで紹介されていたのは31歳にして踏切事故で死んでしまった「石田徹也」というあまり有名ではない画家の作品であった。僕も彼の名前と作品をしるのは初めてであった。最初は「何だこの絵は・・・」と言うのが、まず浮かんだ言葉だった。でも何枚かを見ている内にカフカの小説に繋がるような現在の不条理や、私たちの日常の中に潜む意識化されない混沌とした意識を、それらの絵は見事に表現していた。また、1960年代後半ののポップアートやシュールレアリズムを感じさせながら確実に自分の世界を持っていた。更に彼の生きた実生活を聞くにつれ胸にこみ上げる熱い感情を押さえる事は出来なかった。真に命を削りながら魂を表現した純粋な画家である事を知り更に感動した。今後石田徹也はますます知名度を上げていくであろうという予感を感じさせられた。
まだ彼の存在をご存じでない方は、こちらから是非彼の作品をごらんになって下さい。
きっと見入ってしまわれる事でしょう。
http://www.cre-8.jp/snap/390/index.html
まだ彼の存在をご存じでない方は、こちらから是非彼の作品をごらんになって下さい。
きっと見入ってしまわれる事でしょう。
http://www.cre-8.jp/snap/390/index.html


